92 鹿島様の要石
芋窪の豊鹿島神社の歴史は非常に古く(慶雲四年 707鎮座)、徳川時代には御朱印十三石をたまわった由緒ある神社です。大むかし鹿島さまの社地は南の方までひろがっていて、一万三千坪(四万三千平方メートル)あまりの広大なものでした。
蓮華寺に隣接した空地の、木立にかこまれた草むらに、高さ二十センチばかり、根まわりニメートルほどの山型の自然石が頭をのぞかせて、ご幣が一本立てられています。これが伝説の "鹿島さまの要石"だといわれています。
大きな石であったため、耕作のさまたげになっていました。ある時、村人たちが大勢集って相談をし、この石をとりのぞくことになりました。ところが掘っても掘っても根深く、地下にいくほど大きくてどうしても掘り出すことができませんでした。それ以来、誰言うとなくこの石のことを“要石”というようになったということです。
この要石には虫占いのいいつたえがあります。石のかたわらを掘って、出てきた虫の数によって、授かる子供の有無や数を占いました。一ぴき出たら一人、二ひきなら二人というように、虫の数と同じだけ子宝に恵まれるというのです。死んだ虫が出ると大凶で、子供の死を暗示するというので、人々は真剣な気持で占ったといいます。
要石のそばに、昭和のはじめまで、大きなもみそ(もみの木)が高くそびえて枝をひろげ、かなり遠くからもよく見えました。五十年ほど前に、このもみそを伐り倒したところ、その年、大変な雹(ひょう)の被害に見舞われました。人々は恐しがって「これはきっと要石のたたりにちがいない」と口々にうわさをし合ったそうです。
また、大古の昔このあたりが海だったころ、建御雷命(たけみかずちのみこと)が東国に降った折に、船をつないだのがこの石だという伝説もあります。(『東大和のよもやまばなし』 p200)